<?xml version="1.0" encoding="utf-8" standalone="yes"?><rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"><channel><title>多重人格 on xdcyw.net</title><link>https://www.xdcyw.net/tags/%E5%A4%9A%E9%87%8D%E4%BA%BA%E6%A0%BC/</link><description>Recent content in 多重人格 on xdcyw.net</description><generator>Hugo</generator><language>ja</language><lastBuildDate>Sun, 19 Oct 2025 08:05:33 +0900</lastBuildDate><atom:link href="https://www.xdcyw.net/tags/%E5%A4%9A%E9%87%8D%E4%BA%BA%E6%A0%BC/index.xml" rel="self" type="application/rss+xml"/><item><title>私は本当に多重人格なのか？</title><link>https://www.xdcyw.net/posts/dissociative-kousatu/</link><pubDate>Sun, 19 Oct 2025 08:05:33 +0900</pubDate><guid>https://www.xdcyw.net/posts/dissociative-kousatu/</guid><description>&lt;p>人格が解離するとはどういうことだろうか？&lt;/p>
&lt;p>さて記憶を保持することができてかつ自己同一性が分かれているとき、その人は本当に人格が解離していると
いえるのだろうか？&lt;/p>
&lt;p>私は確かに思考や趣向などが変わることがあるような気がするが概ねの記憶の保持はできているように思う。&lt;/p>
&lt;p>私の考えだがある人物が自己同一性を保持しているか否かを判別する一番の要素は記憶の同一性ではなかろうか？&lt;/p>
&lt;p>思考パターンというものが存在するとする。好きなものや趣向など様々な違いがあるだろう。
性的指向や性自認まで違うかもしれない。&lt;/p>
&lt;p>この場合記憶を共有しているある思考パターンAとBは別人格だろうか？&lt;/p>
&lt;p>私の体験だが自分の実感としてこの場合人格交代をした感覚というものはない。&lt;/p>
&lt;p>私は突然性的指向などまでが変わることがあるが記憶が同じのため自分の感覚としては
突然気が変わっただけで自分が解離性同一症（DID）である感覚はあまりない。&lt;/p>
&lt;p>私はただ単に急に気が変わりやすいだけの変な人なのであって自分の人格が解離しているなどただの妄想ではないかと
か思う。&lt;/p>
&lt;p>私がなんなのか。解離なのかそれとも違う精神的な問題なのかそれとも性格の問題なのか、そのあたりの
謎をいつか知ることができれば嬉しい。&lt;/p></description></item><item><title>尾崎豊から着想を受けて書いてみた多重人格について</title><link>https://www.xdcyw.net/posts/iami/</link><pubDate>Sun, 28 Sep 2025 17:09:43 +0900</pubDate><guid>https://www.xdcyw.net/posts/iami/</guid><description>&lt;p>僕が僕であるために勝ち続けなければならないといけないって歌詞ありますが、
それって多重人格者にいえることなんじゃないかなと思ったので稚拙な文だと思いますがちょっとだけ記していきます。&lt;/p>
&lt;p>以下持論です&lt;/p>
&lt;h3 id="持論とされるもの">持論とされるもの&lt;/h3>
&lt;p>多重人格要するに解離性同一性障害は基本幼少期に強いストレスを経験して
防衛機制として心を守るために心を切り離すすべを会得したんだと思います。
原因は様々だと思うんですが、多重人格者の多くは今現在は
その根本的な原因が取り除かれていることって多いと思うんですよ。
それゆえ、ほんとうに心理的危機なレベルの強いストレスで使うための
機能を日常生活で起こるレベルのストレスで無意識に使っていること
だと思います。そしてその機能を使うことによって得られるメリットよりも
デメリットが何倍もある状態になっちゃっているんですよね。&lt;/p>
&lt;p>尾崎豊さんの曲に戻りますが「心すれ違う悲しい生きざまに溜息漏らしていた
だけどこの目に映るこの街でずっと生きてゆかなかれば」って歌詞、
冒頭の部分と合わせてみるとわたしには、
&lt;strong>日常の悲しいあれこれに負けないで 自分という一人の人間として生きていこうという決意&lt;/strong>&lt;/p>
&lt;p>と重なったのです。&lt;/p>
&lt;p>上述の感情自体は最近自分が感じていた感情なのでそれで刺さって記事にしてみたということです。&lt;/p>
&lt;p>最後に僕が僕であるためにはいい曲なので久しぶりに聞いてみてはいかがでしょうか&lt;/p>
&lt;p>以上こじつけかもしれない謎文章をお送りしました。　&lt;/p>
&lt;p>最後に宣伝ですがパソコンのエディタはvimを応援よろしくお願いします。&lt;/p></description></item></channel></rss>